健常者と障害者の間

earth

イソバイドが効いたようで、初診から半月少しで
無事に聴力は回復しました。

とりあえず、よかった。

ただ、気になったことが2つ。

 

平気だった音が、今は苦痛

一つ目は、
過去2回の低音型感音難聴の時と同じように
瀬戸物のかち合う音がとてもつらいのです。

何とか我慢できますが、
「カチャン!!」というあの音は本当に不快です。

耳栓をしようと思うのだけれど、
お茶碗を触る時って、子どもと話しながらの場面が多いのであきらめました。

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文章の意味合いがうまく取れない・・・

もうひとつは
今はだいぶよくなった気がしますが、
言葉の意味合いが、ちゃんとはとれなかったこと。

こどもたちのサポートやら、何やらで
平均の睡眠時間が積算でギリギリ3~4時間という中で
感音難聴になったわけなんですが、
この中には資格試験のための勉強もありました。

問題集も使っていたのですが
前の日にAという内容で読めた出題が
次の日にはAダッシュに読めたり、
別の日にはBに読めてしまったり・・・。
そんな自分にうろたえてしまう数週間でした。

さらには、きちんと暗記して、ばっちりのはずの記憶も
問題を読んでいくうちに
<本当にアレでよかったんだっけ、
記憶はしたけれど、アレ、間違って記憶したのじゃないのかな・・・>
なんて不安がものすごく強くなって、
結局、あっている回答を直してしまっていたり・・・。

「脳の過労」?と重なって感じたもの

きっと<脳の過労>が起こしたのだと思いますが、
私の中では何かしら自閉症スペクトラムの一部の人が
持っている特徴のようなものと重なる感じがしました。

(これは私が感じたことであって、
発達障害系の人が持つ苦痛は
私の苦痛よりも全然、大きいと思うし、
<脳の疲労>で自閉症スペクトラムを説明しようとする意図も少しもありません
そのことをどうかご理解ください。)

自閉症スペクトラムの「聴覚過敏」

自閉症スペクトラムの人には<聴覚が過敏>の人がいて、
特定の音があまりにつらくて耐えられず、
耳をふさいで叫んだり、暴れてしまったりする人もいると聞きます。

重い自閉症の人は知的障害も合併するので
自閉症特有の脳機能のトラブルに起因するという見方もある一方、
<音の原因を理解できないから>とか<わがままだから>とか
<過去の嫌な記憶と音が結びついた>という見方もあるようです。

脳に非常に近い内耳(ほぼ脳ですが)にトラブルが起きるたびに
何でもなかった音が<すごく嫌な音>になる経験をしてきた私には、
普通の人にとっては何でもない音が
脳の事情で<すごく嫌な音>に聞こえるのは自然なことにも思えます。

脳疲労は文意文脈の読み取りの邪魔をする?

そして、もうひとつ。
自閉症スペクトラムの中でも高機能と呼ばれる
知的障害を持たない自閉症の人たちがいます。

その中には非常に高い知能指数をもつ人もいます。
そのすくなからずの人たちが、
文意文脈を読む部分に明らかな弱さがあって
しばしば、読み間違えたりすることがあるといいます。

彼らのものの見方は<木を見て森を見ず>のことが多く、
俯瞰が苦手で、どこが重要なのかをつかみ取ることが難しく、
情報の合理的な取捨選択が非常に困難です。
セントラルコヒーレンスの弱さ

意識は自ずと細部に行き、
(記憶力は優れている部分もあるのでそれを駆使して)
結果的に大意や文脈をつかみ取ることと引き替えであるかのように
何から何までを記憶しようとする傾向が強いようです。

発達障害特有のストレスへの弱さに
そうした膨大な情報量の処理という脳への凄まじい負荷が加われば
脳も精神も身体もくたくたになるはずです。
そうした、疲れ切っている中で休むこともできずに、
いろいろなものを記憶してしまう脳という
高性能巨大コンピュータをフル稼働させている状態が、
彼らの<日常>なのだろうと思います。

疲労困憊の状態が慢性的に続けば、
たとえ健康な健常者であっても、
(程度は自閉症スペクトラムのそれよりずっと軽いと思うけれど)
抑うつ状態になりやすかったり、体調を崩しやすかったり、
合理的な情報処理が難しくなったりします。

本当に涙が出るくらいつらかったあの数週間を味わって
あれよりも、もっとつらい中を
彼らの多くは過ごしているのかな・・・と思います。

健常と障害は別の世界だろうか

知り合いの知り合いに交通事故の後で
まるで学習障害のようになってしまった人がいると
聞いています。

それまでは大学の成績も非常に優秀で、
どんなに長い英単語でも1度見れば完璧に覚えられたという
医学部の学生さんで、
将来を嘱望されていたらしいのですが、
事故の後は英単語を何度見ても、どんなに努力しても
なかなか覚えられないという話でした。

診断名は「高次脳機能障害」だったと思います。

そうした話を聞くと、
健常者と障害者との間は遠そうで、
意外に近いのじゃないかと思ってしまいます。

健常者だからといって、
永遠に健常者である保証はどこにもありません。

私がこの記事を通して伝えたかったのは
脳の疲れと発達障害の関係という話ではなくて

ほんの少しの想像力があれば
<健常者>の世界にいる人も<障害者>の世界の
ほんの一端でも理解できるかもしれないということ。

私たち健常者は、いつでも障害者になる可能性があるってこと。


そんなことを感じてくれる人は少数かもしれないけれど
その少数がいるか、いないかによって、
この世界の住みやすさはずいぶん違う気がしています。